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ステレ10(向山2010/7/31)

ステレ10(向山10/7/31)

金銭が少し溜まると土地などの安全な不動産に変えてしまい、金銭を投資してさらに
増やすことに固執しない古代や中世の商人たちの習性には、利子に対する罪悪感や金
銭への蔑視があり、その意味で賎民資本主義といわれています。ユダヤ人の「ラビの
利子」(ヘテル・イスカー)は貸方と借方がリスクを分担して利益を配分するという
点で利子に対する罪悪感が緩和されます。しかし、金銭を天職への奉仕の結果とし、
利子も汗の結晶とみるピューリタニズムの精神を潜り抜けて、始めて金銭や利子を神
聖なものとする考え方が出てきて、真の資本主義精神が成立する、というふうに理解
しています。

租税徴収の開始(質問群2)は、古代ギリシア・ローマではオリエントの専制王権や
帝権に比べると遅いですね。オリエントの王権や帝権が当初から租税徴収を前提に成
り立つのに対して、ギリシア・ローマの王権は王の自己財産に依拠し、それは貴族政
期の貴族においても同様です。王や貴族は広場や館で政治や司法の権限を行使するだ
けです。スパルタでは農奴は主人に収穫物の半分を納め、アテナイのヘクテモロイは
債権者に収穫物の6分の1を納めますが、ここに公的な性格があっても小作料であっ
て、租税とはいえません。

ギリシア人もローマ人も原則的には市民に対する租税を知りません。少なくとも定期
的な納入という意味での租税は知りません(少なくとも帝政期の全住民にローマ市民
権が付与される時期以前には)。国家は基本的に対国家奉仕によって維持されます。
役人は自前で職務を果たし、兵士は武具自弁と食料持参で戦い、祭事は神殿財産と富
裕者の出宝で維持されます。むしろ逆に、国家の臨時収入(鉱山の発見など)は市民
に還元され、祝祭などでは酒食の一部を振舞われる慣習も多く、ローマの「パンと
サーカス」も国家的収入の還元(市民の当然の権利)という一面もあります。ギリシ
ア人はトルコ支配下でジズヤ(人頭税)を経験しており現在の財政危機は古代とは直
接には関係ないでしょうが。

エイスフォラ(臨時財産税)は長期のペロポネソス戦争以後のことです。主に戦時の
出費を賄うもので、全市民ではなく有産者(アテナイでは1200名くらい。将軍の指
名)から徴収されます。それ以前にナウクラリアという軍船の建造維持組織があり、
基金とドック守備兵を備え、これが国庫の起源といえるでしょうが、国家的出費が主
に海軍と長期遠征に関係したことは事実でしょう。

「代表なければ課税なし」の概念は、市民皆兵と民会主権の原則下では副次的な役割
しか持たないかもしれません。つまり祖国防衛の一線に命をかけることが民会への出
席資格(代表権)になるのですから、課税は単なる富裕者の名誉ある属性か非市民の
属性に過ぎません。

市民に関しては以上の通りですが、居留外国人(メトイコイ、主にギリシア人)には
人頭税(メトイキコン)が年賦として課せられます。さらに従軍を含めて対国家奉仕
職を担わされることもあり、その意味では「半市民」的なところがあり、こうした自
発的貢献で稀に市民権を付与される例もあります。

ローマ共和政下で海外属州ができると属州知事が任命され、属州統治に関わる友人知
人とともに、徴税請負人も帯同されます(質問群1)。ケンソール(監察官、国庫監
査や風紀取締り、とくに公共事業の発注)との間で国家契約を交わしますので、徴税
請負人はある程度の富裕なローマ市民ということになります。この階層がやがて騎士
身分として元老院議員の地位を窺う人々になります。ご指摘のように、元老院身分が
利殖活動に手を染めることの弊害から、政治と経済を分離しますが、抜け道も多く、
騎士身分以上に元老院身分は裕福です。これら騎士身分の徴税請負人の下に、各地の
金融業者がいたわけで、共和政期北アフリカのヌミディアにはネゴティアトレス(銀
行家、金貸し、商人、船主、手工業者などの実業者)やトガティ(ローマ市民)など
ローマ人が穀物取引などで活躍していたようで、カエサル以後、属州化されると徴税
請負人やその手下になったかもしれません。
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ステレ10(越智/2010年7月25日・日)

 「パライア(英語発音にします)資本主義」の概念は、ウエ-バ-の「反ユダヤ主義」に根ざしていた点では彼独自のものとは言えず、極めて一般的なものなのでしょう。
 ユダヤ系のために弁じれば、偶像崇拝否定と土地所有を禁じられていたこととが連動して、「土地の生産力」という概念が希薄になり、金銭が金銭を生むという「金銭の生産力」の概念が定着しました。土地の生産力という自然要因を抜き取られた金銭の生産力という徹底した人為性への依拠こそ、ユダヤ系の頭脳に核分裂的な威力を与えた原因です。しかも、彼らの宗教が利子を禁じてたので、「ラビの利子」という便法を案出しました(これについてはまたの機会に)。
 ただ、ステレ9でも触れたゴ-ルドマン・サックス(以後GS)はユダヤ系の最大の投資銀行です。また、デリヴァティヴの概念の生みの親もユダヤ系でした(核分裂的な頭脳の1例)。もっとも、これは「金銭の生産力」を最高度に高め過ぎて、自分で自分の首を閉めた滑稽な例となりました。SEC(証券取引委員会)との示談で、5億5000万ドルの罰金をとられたからです。デリヴァテイ ヴによる悪循環を食い止める「ドッド=フランク法」、つまりオバマの金融改革法が、ついにこの示談と同日の7月15日、上院を通過成立しました。
 徴税請負も、後世には領主側の戦略的分断統治からユダヤ系に引き受けさせ、民衆の怨嗟を自分から少しでも逸らそうとします。向山さんの言われる「騎士身分」は生え抜きのアテナイ人だったんでしうね? 「居留外国人」は完全なシテイ ズンとは違うデニズン(半市民)だから徴税役も回ってこなかったのでは? 居留外国人にはユダヤ系は? 他の居留外国人との扱われ方の違いは?(質問群1)
 元老院議員に経済活動を禁じるのは、ウォ-ルストリ-トとワシントンDCを連結する「パワ-回廊」を前者から後者へと渡りゆく慣習では、収入が100分に1くらい減ることに名残を感じます。政治の世界で利殖活動を許せば、インサイダ-取引だらけになりますからね。リ-マン・ブラザ-ズを破産に追いやったヘンリ-・ポ-ルスン前財務長官は、GSのCEOから長官への横滑りでまさに収入が100分の1に減りました。彼は引退しましたが、若ければまたパワ-回廊をウオ -ルストリ-トへ引き返したでしょう。
 上の慣習は、官僚制度のわが国の「天下り」に匹敵します。ご承知のように、合衆国は高官は「政治任命職」なので、「回廊」の引き返しが天下りとなります。
 さて、古代のいつころから市民への徴税が始まったのでしょうか? またどういう経緯で? 合衆国独立の大前提となった「代表権抜きでの徴税なし」の概念の登場は、アテナイ民主主義では無縁だったとすれば、今日では奇妙な民主主義だった気がしますが。それだけ衆愚政治に陥り易く、富裕層が民衆の嫉妬を逸らす寄付その他に躍起になった経緯も今日的にはピンと来にくいのですが。もっとも、オバマにやみくもに反対するテイ -パ-テイ こそ、衆愚政治の見本ですけれども。彼らの多くが、個人としては善人としか見えない点も含めて(質問群2)。

ステレ9(越智道雄)

ステレ9(越智道雄)
 金融資本は貪欲と関連するので、以下のアラン・グリンスパンの言葉から始めたく思います。「人間が貪欲になったのではなく、貪欲さをむきだす回路が途方もなく拡大された」。「回路の拡大」の先兵がデリヴァティヴ(金融派生商品)だったわけで、この市場は08年10月時点で531兆ドルでした。

 普通、賭は例えば小田急株の上昇を念じて購入する場合、「ベット・フォア」ですが、小田急株がこけた場合のヘッジ株の購入は「ベット・アゲインスト」になりますね。前者はプラス志向、後者はマイナス志向で、デリヴァティヴは後者となります。ヘッジは商取引への恐怖から「派生」するので、商取引への希望が基礎になるプラス志向の金融商品より市場がはるかに広大になり、かつその時間も早くなります。グリンスパンの発言時点(02年)、106兆ドルだったデリヴァティヴ市場は6年後、531兆ドルに増殖していました。デリヴァティヴは、世界中に根を張り、今回の不況は連鎖の範囲と速度が印象的でした。

 サブプライム・ローンは、住宅の値上がり分を担保にローンを低利子か無利子で貸し付け、値下がりで支払えなくなった物件を差し押さえて二重に儲ける手口です。しかも、このローンを証券化して別の複数の「ベット・アゲインスト証券」と組み合わせて新商品として売ったために、株式市場の崩壊が最初はブスブス燃えきらない形で起き、1年ほどで大瓦解に至ると、デリヴァティヴ倒産の速度は「音速」に近くなりました。投資銀行ベア・スターンズ瓦解は08年3月で、半年後の9月、ファニー・メイ(連邦抵当金庫)とフレディ・マック(連邦住宅金融抵当公社)、投資銀行リーマン・ブラザーズ、綜合保険機構AIGが立て続けに危機に瀕し、他は公金投入で救われましたが、リーマンだけは見殺しにされましたね。

 デリヴァティヴにはいろいろあるようですが、以下の例はマイナス性が際立ちます。ある人物がわざと破綻しそうなローンばかり組み合わせて証券化(「債務担保証券(CDO)」)、ゴールドマン・サックス(以後GS)に1500万ドル払って売ってもらい、10億ドル儲けたそうです。引き受けたGSの副会長は、「こいつはシュールだ」と同僚にメールしています。現在、GSはこのCDO販売で証券取引委員会から民事告訴され、議会の当該委員会から査問され、この副会長もつるし上げられる場面がTV公開されました。開発した当人はお咎めなしです。

 恐怖は何重にも膨れ上がるので、デリヴァティヴをヘッジするデリヴァティヴ(「債務不履行時の信用リスク移転<CDS>」)が登場して当然でしょう。AIGはこれを10余年前に開発、大儲けしたくせに、自身へのヘッジを怠る間抜けさで墓穴を掘りました。

 さて、ギリシャやローマには、上記の分類だと、プラス志向の証券(株)ばかりだったのでしょうか? 私が興味を持つのは、「恐怖>希望」の原則に従って、前者を商品化した概念は、ポストモダニズムとどう連関するのか?という点にあります。少なくとも、1980年代にはジャンク・ボンドという、リスク度が高い分だけ利幅も大きい証券が開発され、これを使ってTOBやレヴァリジド・バイアウト(LBO)が頻発しました。多くは獲物とする企業の資産を元手にジャンク・ボンドを借りて乗っ取る行為です。

 帝国主義的領土拡張の道を禁じられたエネルギーの横溢が、金融に封じ込められたわけで、戦争による領土拡大が可能だった古代には無縁の現象だったのでしょうか?

ステレ8(越智道雄)

なるほど。では、私のステレ7でお聞きした産業資本から金融資本への移行、アテナイやローマの場合はいかがでしょうか?

ステレ7(越智道雄)

ステレ7(越智)

 狭いアテナイでは海岸、平地、山地が党派形成の地理的な核になっているようですが、広大なアメリカの地域文化圏は、それぞれに沿岸部、平野部、山岳部を持っています。前に少し触れたように、アメリカの地域文化圏は7つあるという説が有力です(デイヴィッド・H・フィッシャー)。しかもイギリスから入植した最初の移住4波は、それぞれ英の異なる地域からアメリカの異なる地域へと移住してきました。詳細は私の『誰がオバマを大統領に選んだのか』(NTT出版)を参照頂くとして、ここでは主にこの4波が前述の「文化戦争」の原因となっている点だけを取り出したいと思います。

 17世紀初頭、最初にヴァージニアに入植した者たちはイングランド南部のアングロサクスンは、宗派はアングリカンで、大西洋岸からメキシコ湾岸へと展開、「沿岸南部文化圏」を形成しました。次いで17世紀前半、ニューイングランドに来た入植者はイングランド南東部アングリアのデイン人で、大半がピューリタンという、母国でのアングリカンの支配に抵抗する人々、彼らは同緯度で太平洋岸まで西進、「北部帯文化圏」を造り上げました。さらに17世紀後半、イングランド中部から移住してきたクェイカー教徒は、主にペンシルヴェニアを中心として太平洋岸まで西進、「中部文化圏」を形造りました。最後に18世紀前半から後半、イングランドとスコットランド、北アイルランドとアイルランド、双方の境界地方から押し寄せてきた者たち、「境界人(ボーダラーズ)」は、中部文化圏と沿岸文化圏の間に割り込み、テキサスを経て太平洋岸に達する「高地南部文化圏」を形成しました。

 アメリカ史を貫く断層線の原因となる黒人奴隷制ですが、その温床となる大農園は主に肥沃な沿岸南部に展開します。ここを開拓したイングランド南部のアングロサクスンは、母国では最後まで白人・黒人双方の奴隷を擁していたので、明白な因果関係があります。第4波が形作った高地南部は土地が痩せていて貧しく、奴隷の数は沿岸南部より少なかったものの、気性の荒い「境界人」も出世の目標は大農園でした。ただ、奴隷は装丁が1800ドルもしたので、大半の白人は「高地」も「沿岸」も奴隷が持てず、大農園主はせいぜい2000名を越える程度でした。『風と共に去りぬ』のスカーレットの両親の大農園タラには奴隷が100名いたことになっていますが、これは途方もない数です。

 さて、奴隷制という断層線を分岐点にして、早くから奴隷制の停止を図ったのが、北部帯と中部の両文化圏でした。ピューリタンとクェイカーという宗派の開明度が、階級支配よりも上下階級の「合意」で全てを決めていく方式を産み、アメリカン・デモクラシーの根幹となります。面白いことに、奴隷所有者だったヴァージニアの政治家たち(ワシントン、ジェファスン、マディスン等々)まで「合意」によって合衆国憲法を生み出す原動力となり、特に草案作成での肝入りさんはマディスンでした。

 他方、奴隷制の悪が最も浸透したのは、奇妙なことに沿岸南部より高地南部でした。「境界人」はアングロサクスンと、異民族ケルトの流れであるスコッチが混じっていましたが、異民族同士のいがみ合いからともに気性が荒かったのです。しかし、スコッチが多く、彼らはプロテスタントの長老派でした(同じケルトのアイルランド人はカトリック)。特に北アイルランドから来たスコッチは、アメリカでは「スコッチ・アイリッシュ」(以後SI)と呼ばれ、奴隷及び黒人差別を基盤に独特な悪の人間性を代表しました。強者も弱者も等し並みに挫く、SIの独特な性格は、以後、アメリカの小説や映画で活躍する主人公たちに反映され、世界は理解に苦しみながらもアメリカの謎として受け入れます。

 攻撃的なSIは政治に向いていたのでしょう、後発移民なのに早くも大統領を生み出します(第7代アンドルー・ジャクスン)。いや、歴代大統領の13名が彼らで(近くはクリントン)、一部血が入っている者は10名(近くはブッシュ。しかしこの父子は実際はWASP)、実に23名がSIなのです。一方、アイルランド系カトリックの大統領はケネディだけ、いかにアメリカがプロテスタントの国か分かります。

 2008年度の大統領選では、民主党予備選がオバマvsヒラリー(ウェールズ系のケルト)、本選挙がオバマvsマケインでした。マケインはSIで、高地南部に入植した先祖はかなりの数の奴隷を所有していました。しかし、マケインは共和党では数少ない良心的な政治家の一人です。他方、オバマの母方ダナム家も高地南部で、先祖はなんと南部同盟大統領ジェファスン・デイヴィスを初め、奴隷所有者でした。しかし、オバマの母親の開明性に感化された母方の祖父母はハワイで混血の孫を育て上げます。この孫は、ロス~ニューヨーク~シカゴと住み替えて、北部帯の「合意」による政治技術と精神を習得しながらも、これら3都市にみなぎる猛烈な競争力を政治的資産とします。

 さて、肝心なことは、これらの文化圏にヨーロッパその他から移住してきた者たちも、それぞれの特色に染め上げられることです。例えばルーマニアから来ても、母国の特色を失い、移住先の「文化」に染まってしまうのです。

 その結果、これらの地域文化の摩擦がアメリカ史を貫く断層線を活性化させ続け、「文化戦争」を継続させるのですが、オバマの大統領当選は、北部帯と中部帯が高地南部や沿岸南部に勝利を収めた歴史的な出来事だったと言えます。後者の最後の抵抗は、例えば「健保制度」阻止の執念に露呈しています。オバマがどうにか懸案事項を解決できれば、2011年の中間選挙で、共和党は高地南部だけの「地方政党」に転落、新しい政党が誕生、その坩堝の只中で高地南部的な不純物質が溶解され、本当に北部帯や中部と対抗できる新たな活力をアメリカにもたらし、煮詰まった「文化戦争」を止揚してくれるのですが。

 では、次回は、以下の主題が可能かどうか、お尋ね致します。1930年代の大恐慌も今回の大不況も、金融資本の行き詰まりが招いたものです。健全な民主主義の護持には、健全な中流層の護持が欠かせません。しかし、古来、中流層に当たる階層の前提は、産業資本が優勢で、モノ造りが盛ん、それらの内需を支えられる富の配分、同時に外需による収益で富の配分を下支えできる構造が前提となります。モノ造りと販売には、中流層が感にするので、彼らは国家の背骨を形成します。しかし、贅沢に慣れてくると、産業資本が衰退、金融資本に移行、製品は海外から輸入し始めます。アメリカは1970年代の石油危機以降、この悪しきパターンに陥り、中流層は破綻しつつあります。今回の大不況で、彼らはさらに淘汰されつつあります。国富の60%は1500万人が金融資本として独占、残る40%で2億8500万人がやりくりしているのです。これと似た事態が、古代の西洋にも存在したのでしょうか?
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