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ステレ7(越智道雄)

ステレ7(越智)

 狭いアテナイでは海岸、平地、山地が党派形成の地理的な核になっているようですが、広大なアメリカの地域文化圏は、それぞれに沿岸部、平野部、山岳部を持っています。前に少し触れたように、アメリカの地域文化圏は7つあるという説が有力です(デイヴィッド・H・フィッシャー)。しかもイギリスから入植した最初の移住4波は、それぞれ英の異なる地域からアメリカの異なる地域へと移住してきました。詳細は私の『誰がオバマを大統領に選んだのか』(NTT出版)を参照頂くとして、ここでは主にこの4波が前述の「文化戦争」の原因となっている点だけを取り出したいと思います。

 17世紀初頭、最初にヴァージニアに入植した者たちはイングランド南部のアングロサクスンは、宗派はアングリカンで、大西洋岸からメキシコ湾岸へと展開、「沿岸南部文化圏」を形成しました。次いで17世紀前半、ニューイングランドに来た入植者はイングランド南東部アングリアのデイン人で、大半がピューリタンという、母国でのアングリカンの支配に抵抗する人々、彼らは同緯度で太平洋岸まで西進、「北部帯文化圏」を造り上げました。さらに17世紀後半、イングランド中部から移住してきたクェイカー教徒は、主にペンシルヴェニアを中心として太平洋岸まで西進、「中部文化圏」を形造りました。最後に18世紀前半から後半、イングランドとスコットランド、北アイルランドとアイルランド、双方の境界地方から押し寄せてきた者たち、「境界人(ボーダラーズ)」は、中部文化圏と沿岸文化圏の間に割り込み、テキサスを経て太平洋岸に達する「高地南部文化圏」を形成しました。

 アメリカ史を貫く断層線の原因となる黒人奴隷制ですが、その温床となる大農園は主に肥沃な沿岸南部に展開します。ここを開拓したイングランド南部のアングロサクスンは、母国では最後まで白人・黒人双方の奴隷を擁していたので、明白な因果関係があります。第4波が形作った高地南部は土地が痩せていて貧しく、奴隷の数は沿岸南部より少なかったものの、気性の荒い「境界人」も出世の目標は大農園でした。ただ、奴隷は装丁が1800ドルもしたので、大半の白人は「高地」も「沿岸」も奴隷が持てず、大農園主はせいぜい2000名を越える程度でした。『風と共に去りぬ』のスカーレットの両親の大農園タラには奴隷が100名いたことになっていますが、これは途方もない数です。

 さて、奴隷制という断層線を分岐点にして、早くから奴隷制の停止を図ったのが、北部帯と中部の両文化圏でした。ピューリタンとクェイカーという宗派の開明度が、階級支配よりも上下階級の「合意」で全てを決めていく方式を産み、アメリカン・デモクラシーの根幹となります。面白いことに、奴隷所有者だったヴァージニアの政治家たち(ワシントン、ジェファスン、マディスン等々)まで「合意」によって合衆国憲法を生み出す原動力となり、特に草案作成での肝入りさんはマディスンでした。

 他方、奴隷制の悪が最も浸透したのは、奇妙なことに沿岸南部より高地南部でした。「境界人」はアングロサクスンと、異民族ケルトの流れであるスコッチが混じっていましたが、異民族同士のいがみ合いからともに気性が荒かったのです。しかし、スコッチが多く、彼らはプロテスタントの長老派でした(同じケルトのアイルランド人はカトリック)。特に北アイルランドから来たスコッチは、アメリカでは「スコッチ・アイリッシュ」(以後SI)と呼ばれ、奴隷及び黒人差別を基盤に独特な悪の人間性を代表しました。強者も弱者も等し並みに挫く、SIの独特な性格は、以後、アメリカの小説や映画で活躍する主人公たちに反映され、世界は理解に苦しみながらもアメリカの謎として受け入れます。

 攻撃的なSIは政治に向いていたのでしょう、後発移民なのに早くも大統領を生み出します(第7代アンドルー・ジャクスン)。いや、歴代大統領の13名が彼らで(近くはクリントン)、一部血が入っている者は10名(近くはブッシュ。しかしこの父子は実際はWASP)、実に23名がSIなのです。一方、アイルランド系カトリックの大統領はケネディだけ、いかにアメリカがプロテスタントの国か分かります。

 2008年度の大統領選では、民主党予備選がオバマvsヒラリー(ウェールズ系のケルト)、本選挙がオバマvsマケインでした。マケインはSIで、高地南部に入植した先祖はかなりの数の奴隷を所有していました。しかし、マケインは共和党では数少ない良心的な政治家の一人です。他方、オバマの母方ダナム家も高地南部で、先祖はなんと南部同盟大統領ジェファスン・デイヴィスを初め、奴隷所有者でした。しかし、オバマの母親の開明性に感化された母方の祖父母はハワイで混血の孫を育て上げます。この孫は、ロス~ニューヨーク~シカゴと住み替えて、北部帯の「合意」による政治技術と精神を習得しながらも、これら3都市にみなぎる猛烈な競争力を政治的資産とします。

 さて、肝心なことは、これらの文化圏にヨーロッパその他から移住してきた者たちも、それぞれの特色に染め上げられることです。例えばルーマニアから来ても、母国の特色を失い、移住先の「文化」に染まってしまうのです。

 その結果、これらの地域文化の摩擦がアメリカ史を貫く断層線を活性化させ続け、「文化戦争」を継続させるのですが、オバマの大統領当選は、北部帯と中部帯が高地南部や沿岸南部に勝利を収めた歴史的な出来事だったと言えます。後者の最後の抵抗は、例えば「健保制度」阻止の執念に露呈しています。オバマがどうにか懸案事項を解決できれば、2011年の中間選挙で、共和党は高地南部だけの「地方政党」に転落、新しい政党が誕生、その坩堝の只中で高地南部的な不純物質が溶解され、本当に北部帯や中部と対抗できる新たな活力をアメリカにもたらし、煮詰まった「文化戦争」を止揚してくれるのですが。

 では、次回は、以下の主題が可能かどうか、お尋ね致します。1930年代の大恐慌も今回の大不況も、金融資本の行き詰まりが招いたものです。健全な民主主義の護持には、健全な中流層の護持が欠かせません。しかし、古来、中流層に当たる階層の前提は、産業資本が優勢で、モノ造りが盛ん、それらの内需を支えられる富の配分、同時に外需による収益で富の配分を下支えできる構造が前提となります。モノ造りと販売には、中流層が感にするので、彼らは国家の背骨を形成します。しかし、贅沢に慣れてくると、産業資本が衰退、金融資本に移行、製品は海外から輸入し始めます。アメリカは1970年代の石油危機以降、この悪しきパターンに陥り、中流層は破綻しつつあります。今回の大不況で、彼らはさらに淘汰されつつあります。国富の60%は1500万人が金融資本として独占、残る40%で2億8500万人がやりくりしているのです。これと似た事態が、古代の西洋にも存在したのでしょうか?
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ステレ7(向山)

 広大なアメリカに地域的多様性があるのは当然で理解もしていました。しかし、それらの地域に最初に移住した人びとが、母国イギリス内部の地域風土や人種、宗教などの特徴を色濃く反映した文化圏を形成し、これが後続の多様な移民たちの性格まで染め上げているという指摘は驚きですね。しかも、それが政治や経済などの分野で多様な行動様式の差異を生み、たとえば大統領の出身地域にも極端な偏差を生み出しているとすれば尚更のことです。つまり、文化戦争などそれらのステロタイプは今日まで尾を引いてているわけですね。

 アテナイの場合にも、その領土アッティカにはそれぞれ独自の歴史と文化を持つ地方的王権が幾つかありました。それらの小王国をテセウス王が合併してアテナイは成立します。そこでの血縁4部族も血縁集団でありつつ地域的に纏まって定住していたと思われます。事実、部族名の別称には平地、海岸、山地、アイガイ(つまりエーゲ海沿いの地域たるアッティカ東海岸)という地理的呼称が含まれています。平地と海岸が首都を取り巻いて隣接しているのに対して、山地とアイガイはヒュメットス山とペンテリコン山の連なりの向こう側にあります。政治の中心地から地理的に隔離されたこれら2部族の人びとは、「山の向こう側の人びと(ヒュッペラクリオイ)」と総称されており、この呼称は山地党(ディアクリオイ)の別称でもあります。2つの弱小部族は合体して山地党の基盤になり、ペイシストラトスを指導者として平地党と海岸党とが対立する政治中心地たる首都に乗り込んで行ったと見ることができます。

 こうして対立する3地域と3党派をクレイステネスは、地縁的な10部族の30トリッチュスに分断し、地域と市民を融合させ、市民的結束を生み出します。これは北アフリカのギリシア人植民市キュレーネで、賢者デーモナックスが実施した部族改革と似ています。クレイステネス改革に先立つ紀元前6世紀中葉頃の話です。デーモナックスは最初の植民者たるテラ島出身のドーリア人、後続のペロポネソス半島人、後続の島嶼人という人口規模の異なる3種類の人びとを、アテナイと同じ方法(クロスセクション方式)で種族的に融合しました。つまり、均質均等な部族を構成し、外敵リビア人の侵入の危機の中で市民的結束を図っています。王政は廃止され、賢者が招かれた祖国マンティネアと同様に民主政が成立した可能性もあります(ヘロドトス「すべてを民衆の共有とした」)。

 同様にクレイステネスの祖父で僭主のクレイステネスが、ペロポネソス半島北岸のシキュオンで実施した部族改革も、民衆を大量に重装歩兵に繰り込んだという意味ではアテナイの孫の改革と似ています。オルタゴラスは料理人の息子でしたが、軍人として国境紛争で功績を上げ、人心を掴んで僭主になります。その息子で2代目僭主のクレイステネスは部族改革で、ドーリア人3部族に加えて土着民の第4部族を正式に認知し、これに「アルケラオイ(支配者たち)」という名称を与え、従来のドーリア3部族には「子豚たち(ヒュアタイ)」などの蔑称を与えます。つまり、圧倒的な数の土着民、とりわけ土着民重装歩兵の上に政権基盤を確立したわけです。シキュオンと同じ住民構成を持ち、同じ半島の南側にあるスパルタが僭主政を恐れた理由です。事実、スパルタは僭主クレイステネスの息子(アテナイのクレイステネスの叔父)の僭主政を打倒しました。

 アテナイのクレイステネスは、シキュオンの曽祖父、祖父、叔父の政治的遺産に加えて、情報の交錯するデルフォイの神託所や小アジアの王国など国際的な展開を見せるアルクメオン家の情報網の中枢で育ちました。部族改革や重装歩兵制についてのさまざまな知識を持っていたとしても不思議ではありません。(2010/1/10)
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